家父長制の記憶、あるいは音楽

 祖父の暴力は日常的で、それはものすごいものだったが、わたしはその標的にはならなかった。倒れる前は、よくかわいがってもらっていた。母に見つからないよう、よく祖父のところへかりんとうをせびりにいった。走る電車をみによく近所の踏切まででかけた。あの頃の中央線はオレンジ一色で、箱のような形をしていた。よく酷いわがままを言ったな、と思う。倒れる前の祖父の記憶は、とても優しいものだった。

 大声で怒鳴り散らし、茶碗を投げて食卓をめちゃくちゃにするような毎日でも、毎週火曜の夜だけはとても静かだった。

 祖父はNHK歌謡コンサートが大好きだった。好きな歌手が出ると、気持ちよさそうに自分も歌う。食卓も安らぐ。

 私には退屈な時間だった。怒鳴り声を耐えて白飯をかき込んだのである。済んだらさっさと二階に上がってゲームボーイがしたかった。

 こんなこと、思い出したくもなかったが、人の記憶とは不思議なもので前触れが無い。3歳ごろから中学に上がるくらいまでの、わたしの記憶である。

 わたしはわたしで、同じころNHKでやっていた『コメディ―お江戸でござる』が大好きだった。暴力のない世界を無心に見つめていた。ぼーっと、現実逃避ができる貴重な時間だった。

 お江戸でござるにはテーマ曲があって、今でも耳に残って離れない。

 思いがけずお江戸でござるのテーマが頭の中を駆け巡り、夜中に声を出して泣いてしまった。

 別に泣くような曲ではない。

 ただ、つらくて蓋をしていた記憶を思い出すには充分だった。

 過ぎたことはもう元には戻らない。もう怖がらなくていい。

 そう思って、安心したのかもしれない。

その他

Posted by ily