「続けている理由」
最近は5月でも、真夏のようにジリジリと陽が照りつける。歩いたり戸外での活動をしたりするのは本当にしんどく思える日が増えてきた。そんなある日、仕事で遠足があった。私は決して仕事が好きではない。この仕事に自分は向いていないと、未だに思うし、辛くて仕方ない事もあるし、ドロドロぐちゃぐちゃもあるし、嫌だなと思い始めるときりがない。でも日常の中で、たまらなく良い瞬間がある。それがあるから、辛うじて蜘蛛の糸みたいに細くていつか切れそうなもので気持ちと仕事は繋がれている気がする。
暑い日、コロナや熱中症対策もしながら、遠足が敢行された。かなり長い距離を歩くので帰り道には「もう無理だ」「歩けないよ」という声が口々に聞こえてきた。しかし、1人が「そうだ、良い事がないかな、良いこと考えようよ」と言うと、「かき氷食べたら美味しいね」「リンゴジュース飲みたい」「アイス、今食べたら美味しいだろうなあ」と、皆んなが考える良い事を口々に言い出した。すると、いつの間にか歩けないと言っていた足どりが軽くなり、帰園する事が出来た。なんだか、そういう、やり取りや発想から気持ちが柔らかくなる瞬間がある。
また、歩きながら「好きな食べ物はなあに?」と聞かれた。「春巻きだよ」と言うと「ウチと一緒じゃん!」と嬉しそうな子。「ばあばが作るの上手だから、今度1つあげるね!」…と言ってくれた。この子は、もっと小さな頃から何でも半分こをしてくれる子だった。気持ちって嬉しいな、と思う。優しい気持ちや相手の好きな食べ物を知りたいなんて、人間関係の基本のような、忘れてしまっていた大切な事のような気がした。
「こっちにおいで」「食べるの見ていてね」「うちに来ていいよ」など気持ちのこもった言葉の数々を貰うと何だかもう少し頑張ろうかな、と思ったりもする。
何というか、そういった感覚的な事でいうと、青年室の講座だったり、わいがやに通う理由みたいなものと共通している部分があるように思う。
こんな、未だに中二病みたいな毎日であるが、わいがや、青年室、講座、部活は癒しであり居場所でもある。中々今の自分の生活パターンとリンクせずに、足を運べていない現状があるが、そんな中でも久々に行くと何とも言えない、これまた貴重なここに来たいなと思える瞬間がそれらにはあるのだ。
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