言葉を/が取り戻す暮らし(入山 頌)

11月 16, 2022

 詳しいことは書けないけれども、昔お世話になった人が大きな事故に遭い、身体がなかなか昔のようには動かない、重い症状を負ってしまった。

 私にとってその人は寡黙な人で、あまり多くの言葉を交わしたわけではなかったけれど、とても尊敬している。一緒にお風呂に入りに行ったこともあった。決して上手には書けなかった修論を読んでもらったこともあった。夜中に一緒にタバコを吸いながら、「入山の書いているここがさ、なんかわかる気がするよ」そう言ってもらった。

 事故の後、その人はブログを始めた。わたしはそのブログを欠かさず読む。その人の暮らし、感情、趣味、考えていることが、エントリーを重ねるごとに色彩鮮やかになっていく。その人が、ブログを通して自分の言葉を取り戻していき、それは同時に、言葉を通して、自分の暮らしを取り戻していくことなのだと思った。

 作家の森見登美彦は、(おそらく短編集『新釈・走れメロス』か、『四畳半神話大系』かなんかのあとがきで)ひとは書くようでいて実は読んでいて、読むようでいて実は書いている、というようなことを言っている。言葉とはつくづく不思議なものだと思う。言葉にすればするほど、世界が近づいてくる。そして遠ざかることもある。いわゆる行為遂行性(パフォーマティブ)である。

 言葉によって世界が近づいてくるとき、それは必ずしも自分の思い描いた通りのものではないかもしれない。けれども、あなたの言葉に確かな力があることを知るには充分ではないだろうか。ビートルズも歌っている。「All you need is love――愛こそすべて」である。

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Posted by ily