和歌山に向かう新幹線にて。
先日、叔母が亡くなった。彼女は、献体を希望していたので、葬式は行わない事になった。しかしホスピスや、入居していた介護施設の片付けをする必要があるので今和歌山へと向かう新幹線の中に私は居る。
ここ数日、不思議な事があった。職場や、その近くを歩いていると、蝶々がどこからともなくやってきて、そばに来たかと思うと、ぐるりと私の周りを舞い、並走するかのように着いてきたのだ。そしてまるで一緒に歩いているかのように、ひらひらと私の横を舞った。
こんな時期に蝶々?と思いながらそれを見ると、暫く向こうも、凝視するかのように自転車のハンドルに留まり、こちらをじっと眺めていた。私が動き始めるまで、蝶々は微動だにしない。自転車をバックさせると、思い出したかのように蝶々は飛び立って行った。
それから暫く、蝶々は私の前に幾度か現れては側を舞った。調べてみると、蝶は故人の死後に自分の親しかった人の周りを飛んで行く事があるようだ。あの飛び方は、まるで私の事を知っているかのようだったな、と今振り返っても思う。もしそうだったなら何とも言えない思いがある。嬉しいとか悲しいとか、一言では言えない何かだ。
…という事を、思い出しているタクシーの中で、父と昼ごはんはどこで食べようか、という話になる。「ここいら辺でどこかご飯食べる場所ありませんか?」とタクシーの運転手さんに聞いてみた。タクシーの中には「安全運転を目指します、趣味ゴルフ」と運転手さんの紹介が書いてあった。「そうかあ。ここいらは、なんもなくなってもうてなあ。ちょっと待ってや、おっちゃん考えてみるわ」と、メーターを一旦切るタクシーの運転手さん。あ、良い人。
「昔はここにバーミヤンがあったんよ。あと、ほれもういっこあるやろ、ゆうてみい」
「え、ガストですか」
「そう、それな。ここいらにあったもんもなくなってしもうてなあ。市役所の側に個人の店でチャーハンとかラーメンとか食べるとこならあるけど。まあ、口は色々やから。おっちゃんは美味いと思うで。おっちゃんは、やで。」
という事で、連れて行ってくれた食堂は、昔懐かしい味。従業員のお姉さんが、色々世話焼いてくれる感じの、近所にあったら確実に行きつけになるような場所だった。近所に住んでいる、あらゆるジャンルの人々がその場に会している感じがした。
チャーハンを食べながら、数年前に帰った時に叔母と会話した事を思い返したり、向かい側に座る父と、こんなにゆっくり過ごす事も久しぶりだなとぼんやり思ったりした。
和歌山の紀ノ川の近く、高野山の入り口でわたしたちは、ご飯を食べながら故人を思い返し、想い出を口にして寂しさをかみしめ冥福を祈った。
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