自足 self-sufficiency

3月 11, 2022

 足が思うように動かないのであれば、杖を使うべきではない、義足も使うべきではない、と、思想家イヴァン・イリイチはいう。その人の苦しみが、その人自身のものになるようにしなければならない、と。そして、もっと単純にならねばならない、と付け加える。(産業社会における)ケアは、人々から生きる力を奪うのだから、と。大切なのは、人に寄り添うことだと。

 どうしてそんなことをいうのか、私にはわからなかった。苦しみはない方がいいだろうから。けれども同時に、普段しないような想像を膨らませる。医者や病院のない社会を。テレビからそのきっかけをもらった。

 休みの日に、ぼーっとテレビを観ていると、狩野英孝さんが象さんのテーマパークのロケに出ていた。ガイドさんが、この象さんは、去年病気だったんですけど…、と、その当時のことを話しだす。

 テーマパークにはたくさんの象さんがいたが、弱々しく座り込むその病気の象さんに向かって、みんなが鼻を伸ばしたのだという。

 VTRの後、象さんには人間と同じように、同情することがある、とテロップが流れた。

 人間と同じように、とは、奇妙なたとえだと思った。人間の場合は、同情されようがされまいが、とりあえず病院に行くだろうから。同情があるのかさえ微妙だ。疎ましく思うことはあっても。象さんのようには振る舞えないだろうと。

 ガイドさんは次のように続ける。私が海外で見た象さんは片目がみえなくて、そうすると別の象さんがみえない方の側に立って歩くんです、と。

 病んだ象さんに鼻を伸ばす象さん、片目のみえない象さんに寄り添う象さん、丸腰、いかなるときも手ぶらで生き物同士がともに暮らすということ。人間に可能だろうか。イリイチはその可能性を「自足 self-sufficiency」という。

 ここで基調となっているのは、自足 self-sufficiency です。人間は、みずからが所有する不必要な品物や財によって、周囲から幸福を引き出すことができる自分の力を弱めていくこということを、われわれは理解しなければなりません。[イリイチ 1991:13]

イリイチ、イヴァン 1991 『生きる思想――反=教育/技術/生命』桜井直文訳、藤原書店。

 私たちは、圧倒的な現実に無力感を感じることがあるが、その無力感とはつまるところ何なのか。力とは何か。

 同じ日に、ワイドナショーで乙武洋匡さんが義足で母校の校門をくぐりたい、と一生懸命歩いていた。背中にはスタッフがついていて、義足でバランスが取れなくなる乙武さんを支えていた。背に手を添えるような力のこもった支え方ではなかった。ただ乙武さんのすぐ後ろに立って一緒に歩いていた。小学生当時、いつも乙武さんと一緒だったという同級生の話も印象的だった。

 手ぶらでいることは無力であることを意味しない。むしろその逆である。

 最近、イリイチの本を読む読書会に誘ってもらい、敬愛する思想家の刺激を新たに受け取る機会に恵まれている。狩野英孝のキレッキレのロケをみて、書かずにはいられなかった。

参照文献

 イリイチ、イヴァン 1991 『生きる思想――反=教育/技術/生命』桜井直文訳、藤原書店。

参考映像

 フジテレビ 動物さまの言う通り 2022年3月6日https://www.fujitv.co.jp/b_hp/animalsama/

 同   上 ワイドナショー 2022年3月6日https://www.fujitv.co.jp/widna-show/