鶏と豚と牛
昔、わいがやの卵は山梨県の「あさひ福祉作業所」から仕入れていた。黄身がレモンイエローの卵を、府中の「ぐるうぷ・はこび屋」さんが毎週届けてくれていた(どちらの代表の方も親の戦争加害がひとつの原点にあり、そこから国や行政に頼らない福祉を実践されていていた)。
ある年の3月、私はわいがやの慰安旅行で初めてあさひ福祉作業所を訪れた。そこは、代表ご夫妻と20名近くのメンバーの方が豚や鶏、野菜を育てながら、共同生活をしていた。あさひのメンバーは自分の生活を自分で作っていて、飼い慣らされていなくて、そんな姿の格好良さに、私たちみんなが圧倒された。
中でも、生きた鶏を締める経験をさせてもらったことは印象的だった。生温かい内臓の感じを今もなんとなく覚えている。
鶏と対照的だったのが豚である。大人一人で捕まえてさばくことができる鶏と比べて、豚は大人数人がかりでかなりの時間をかけて押さないと、トラックに積んで出荷できない。出荷してから肉になるまでも、きっと多くの人手を必要とする。
あさひで鶏をさばくことと豚の出荷を経験して、私は自分が食べることのできる生き物の大きさにちょっと敏感になった。鶏よりも豚は、豚よりも牛は、より少ししか食べてはいけないと思うようになったのだ。それは直感でしかなくて、本当に自分がそれを守っているかも怪しいのだが、初めてあさひを訪れた春から年月が経った今も、漠然とそう信じている。
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