岐阜からの1日
今日は、おばあちゃんと、伯母さんと、従兄弟のいる岐阜へ行った。
着いてすぐに行くはずだったラーメン屋は、コロナ感染者が出てしまい、店を変えて回転寿司を食べた。
回転寿司屋さんは危ない気がしたが、昨日から夢に見るほどお寿司が食べたかった私にとっては、夢が叶ったような気持ちだった。
久しぶりに会った従兄弟が大きくなっていた。彼は、高校二年生でありながら、エンガワ好きだった。伯母さんはブリとかっぱ巻きばかり食べていて、2人のセレクトが面白かった。
食事後、谷汲山へ行った。2年ぶりだった。空気が澄んでいる。谷汲山には、ミャンマーにあるような、ぐるっと回すと一度お経を読んだことになるやつがある。(名前を忘れた。) 五年前頃から閉められているが、ガラス窓から中を覗くと中央に大きな箱型の台車があり、全面に、数え切れない程の経典が積み重ねられ入れられていた。
谷汲山には、戒壇巡りというものもある。壁をずっと探りながら、真っ暗な細い廊下を歩いていく。
(戒壇巡りは、「胎内めぐり」とも言われるそうだ。生まれ直す、という意味があるらしい。)
いつもは従兄弟と一緒に入っていたが、今年は1人で入った。毎年、「ここらへんにあるよ」と言われながら「これなのかなぁ」と思っていた。
今日は初めてしっかりと「鍵」を見つけた。仏性の鍵というらしい。人に押されることもなかったから、ゆっくり、しっかりさわった。
今日は雪を今年初めて見た日だった。お寺の大きな門には雪が少し積もっていた。雪解けの水が下へ落ちて水たまりをつくっていた。ここの不動明王と毘沙門天は、とても美しい彫刻だ。造られた時から塗り直されていないので、木の表情がよく見える。眼には鈍い金色と黒色で二重の円が描かれていて、生々しく鋭くこちらを見据えてくる。そして、像の存在感が強く感じられる大きさで全身が彫られている。
仏教美術に詳しい伯母さんが、テニスをやっている従兄弟の腹筋はシックスパックで、不動明王よりも締まっていると言っている時がなんだか嬉しそうだった。
ある獅子の小さな彫刻が、屋根の下の四角に造られていた。あたり一面、雪のある風景なのに、獅子の彫刻には蝉の抜け殻がついていた。
「目から蝉の抜け殻」 「鼻から蝉の抜け殻」 「口から蝉の抜け殻」状態。
蝉は、獅子の顔の上で殻を破っていたのだ。夏は、蝉時雨が獅子の鳴き声のように聴こえていたんじゃないかとふと思った。
そして、むしろ、殻しか残っていない今の状態が、冬の風景にとても似合っていた。夏にはここで蝉が鳴いていたんだと想像すること自体を冬の蝉時雨と言えたら、素敵ではないだろうか。一年を振り返るときの風物として、「獅子から蝉の鳴き声」を覚えていようと思う。
剣のように長いお麩菓子を従兄弟が買っていたので、真似して買ってもらった。
栃の実煎餅も買ってもらった。おばあちゃんはお店の人と知り合いらしく、会話しながらお店にいた。そのお店の人は、最後におまけで飴を2袋私たちにくれた。おばあちゃんは、そのお返しのようなつもりなのか、お会計後に、さらに2袋の栃の実煎餅を買っていた。
私はおばあちゃんが大好きで、伯母さん、従兄弟のことが大好きだ。岐阜も好きだ。
伯母さんは、30年前頃、国立に住んでいた。
私が今年、公民館の青年室で素晴らしい人たちと出会ったんだという話をした。そうしたら、伯母さんもわいがやのお店に立っていたよ、とサラッと言われた。公民館に通って、色んなボランティア活動に参加したりしていたそうだ。
わたしはそんなこと知らなかった。不思議なことだらけである。
今日、岐阜から愛知への帰り道、車窓から見る夕陽は、ものすごくオレンジ色だった。12月29日。あと2日で2020年は終わろうとしている。
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