【赤松啓介を読む①】「ブレスタグラマー・AKAMATSU」(入山 頌)

0.このシリーズについて

 かれこれ2年半くらいお世話になっている民俗学の勉強会で、赤松啓介について発表することになった。

 民俗学っていうのは、身の回りのものが昔どんな感じだったのか、その歴史上の変化を調べて明らかにする学問で、お祭り、昔話、遊び、仕事、食生活にいたるまで、日常に関わるものなら何でも扱っている。もちろん、歴史上の変化って「(飲み会でゲラゲラ人を指さしながら)歳をとったなぁお前も!変わったなぁ!」みたいな腹の立つマウントでは到底説明できない[i]。その時々の経済的・政治的な影響を強く受けている。だから、例えばあなたの住んでいる地域のお祭りだって、戦争中はどうやっていたんだろう、とか、昔の人は感染症にどう対処していたんだろう、とか、「損切り」なんて言葉があったけど、昔の人付き合いってどうだったんだろう、とか、そんなことを真剣に考えている学問だ[ii]

 わたしはというと、学生時代にほんのちょっと民俗学をかじったくらいで、エラそうに語れるほどの能力はない[iii]。勉強会にお世話になっているのも、不思議な縁のおかげである。

 そして、赤松啓介というのは民俗学者だ。彼のいっていることを、最近いろんなところで論じられている「当事者」に結びつけることが、わたしの研究テーマになっている[iv]

 わたしはコツコツ勉強できるタイプではなくて、どちらかというと軽薄に、人から聞いて気に入った単語をすぐおしゃべりで使いたがる、落語に出てくる与太郎みたいな人間だ[v]

 なので、あんまりちゃんとしたことは言えないけど、黙々とワードにお勉強ノートを書くのも寂しいので、赤松の本をぺらぺらとめくりながら、面白がって読んだところを共有するために、ブログを書いてみようと思った。

1.インスタグラムはブレているか?

 みんな、インスタグラムってやってる?

 写真をインターネットに投稿しながら、同じようにインスタをやってる人とコメントを送り合ったり、コミュニケーションを楽しむアプリだ。

 インスタの写真ってブレてるかな?

 もちろん、表現のあり方として、ぶれていたりぼけていたりするものを投稿することはあると思う。でもそれって、狙ってやってないかな?

 インスタの写真はブレていない、もしくは狙ってブレていた。そして反対に、赤松の撮る写真は狙ってないし、しかもブレていた、というのがわたしの言いたいことだ。それが妥当かどうかは別にして。

2.誇るべき不運

 この一枚が撮りたい!ってときある?「はい!チーズ」っていわなくてもカメラが向いたらみんなチーズのポーズ……最近は違うのか……? ……キュンですみたいなやつか……、ああ、なんだっけ。これだけ写真が身近になって、「映え」が追及される今日この頃だけど、赤松は撮りたいものが撮れない経験を「誇るべき不運」っていってる。逆に、撮ることにムキになっちゃうことを、写真のアマチュア化とともに痛烈に批判しているんだ。

 プロ顔負けの七ツ道具をぶら下げ、芸術写真かなにか知らぬが、神幸、祭礼の行列に接近し、演技者の接写をねらって密着し、最も肝要な祭りの主要部を一般の民衆、見物人から見えないようにしてしまう。自分だけの望みの写真が撮れればよいので、周辺で規制を守って機会を待っている他の撮影者のことなど、知ったことではない。おとなしく待っていたのでは、よい写真が撮れるわけがなかろう。(…)祭礼や行事の運行は西部劇のような決闘場ではないのだから、カメラマン仲間はもとより一般の見物衆の迷惑にならぬよう、細心の注意を払って現場に臨むべきだろう。(…)二度と機会がないとしても、それは誇るべき不運と観念していさぎよく撤退すべきだろう。[赤松 :194-195]

赤松 啓介 2017 『性・差別・民俗』、河出書房新社。

 でも、赤松だって祭りの写真を撮ったりしてる。もちろん、誇るべき不運に恵まれることもあったろうけど、どんな写真だったんだろう。

3.ブレスタグラマー・AKAMATSU

 ブレブレだったんだって。

 私の撮影した写真はピンボケになったり、突然に横切った人の頭が写ったりしているが、これが本当の写真なのだ。群衆の中で、彼らともみ合いながら写せば、これが当然のことである。特別に与えられた位置や、特権的な待遇のなかで、いかに所望の完全写真が撮れたとしても、それはすでに死物になっているであろう。[赤松 :193]

赤松啓介 2017 『性・差別・民俗』、河出書房新社。

 「特別に与えられた位置」っていいね。カメラを構えるとき、わたしたちは、撮るときにどうしてもそこを探しちゃう。でも、そこで撮れたものは「本当の写真」ではない。

 群衆のなかでもみくちゃになりながら撮れた写真を、果たして赤松はインスタにのせただろうか。そもそも赤松はインスタやってただろうか。

 また次回。

【参照文献】

赤松啓介 2017 『性・差別・民俗』、河出書房新社。

入山頌 2020 『訴訟と共生――東京都国立市公民館コーヒーハウスにおける「障害」』、現代民俗学研究(12)。


[i] もちろん、人の人生にもいろいろあるわけですが、ここで腹を立てているのはゲラゲラと土足で人の人生を評価している点ですし、具体的な経験に基づいているわけでもありません。いろいろあった人の人生(歴史)を、外からゲラゲラ評価する(エンタメ消費)のでは、到底説明がつかない、ということを言いたかったんだと思います。

[ii] 文献を参照しているわけではなく、あくまでイメージです。

[iii] お地蔵さまのことを調べていました。

[iv] よければこちらをお読みください。( https://ci.nii.ac.jp/naid/40022237610 )

[v] 不安になったのでブログを公開する前にYouTubeで「牛ほめ( https://www.youtube.com/watch?v=BljE7vLS2HI&t=329s )」をみましたが、使い方が間違ってましたらご指摘いただけますと幸いです。