梵天丸と共に

 小学生の頃、黄色い自転車に「梵天丸」と名付け、それを乗り回していたヤバい小学生だった私。そして今、真っ赤な自転車を名前こそつけていないものの、かなりの長距離を乗り回している。移動手段として何で自転車なのか?直に触れる風が心地よいのと、車の運転に関しては、国が認めた優良ドライバーなわけで、海外か旅行先でしか運転した事が無いため、そこら辺で乗るのは自信がないのです。はい。

 今はコロナもあり、休止している「炊き出し部」だが、(色々な食べ物を皆んなで作って食べる楽しい部活動です。再開したら、皆んな来てね)ある日、そこに可愛いカッコ良い高校生がチョコンと座っていた。ラボや、公民館の中で、よく勉強しているという。「こんばんは」話してみると、何て良い子なんだろう!次々聞いてみたい事が生まれてきた。「今の高校生の中では、何が流行っているの?」「いつも、どんな事考えているの?」「休みの日は何してるの?」その、中年の私から生み出される数々の面倒くさい質問に、丁寧に答えてくれた青年。仮にH君とする。H君は、休みの日に、目的地を決めずに何となく自転車を漕いだり、友だちと自転車で遠出をするという。「例えば、行ってみて良かった場所ってある?」と聞くと「最近では鎌倉ですね」との事。その、友だち達と、目的地を決めずに自転車でわいわい喋りながら多摩川沿いを走る様子は、何とも美しい光景として脳裏にイメージが浮かんできた。まるで映画のワンシーンのようだ。「そうなんだ!」この時、私は鎌倉へ自転車で行ってみようと決めた。

 高校生で、「近いし楽に行けますよ」という場所が、中年には、どのように感じられるのだろうか。そのような好奇心もあったし、何よりもずっと無になりペダルを漕いでいるうちに、自分の頭の中にはどんな事が浮かんでくるのだろうか、という興味があった。例えば水泳をしている時のように、音楽が流れてくるのだろうか。それとも。。。

 朝5時過ぎくらいから、自宅を出てペダルを漕ぎ始めた。その頃は、白いママチャリに乗っており、とてもじゃないが、鎌倉へ行くようなコンディションの自転車でもなかったけれど、それはどうでも良かった。とにかく「鎌倉まで自転車で行く」を、体験してみたかったのである。

 まず、道が分からないがGoogle先生にずっと頼るのはどうなんだろうか、と悩まなくて良い事、そこは頼らないと!という部分で横着をして、道に迷う事になる。だけど大丈夫!道は繋がっているので、目的地には必ずたどり着くという事も、今回の小旅行で体感出来た。ペダルを漕ぎながら、頭の中で反芻するのは、自分の中で最新のトピック4個ぐらいが、頭の中をぐるぐる駆け巡る。途中で、アクシデントや休憩を挟み、違う事も考えるが、何度も何度も同じ事を考えている事に気づいた。何だか不思議な感覚だった。なんだろう。意識していなかった事がペダルを漕いでいくごとに明確になっていく感じだ。

 途中の道で、車の広告のキャッチコピーを写メしたり、そのご当地ならではの政治家のポスターベタ貼りに驚いたり(お膝元なのだろう)ここは、もう東京ではないんだな、という事を感じながら進んで行った。どこにも、どこの土地にも、そこにしかないカラーがある。鎌倉に着いて、海辺で佇んでいると、着物を着た観光客や、散歩をする人たちがパラパラといて、景色に溶け込むそれらを見ているだけで、日が暮れた。その足で、国立市の増田書店にチラシが置いてあった、「鎌倉ブックフェスタ」へ行き、何冊か本を購入した。結局、行きの道で真っ暗になり、鎌倉駅に自転車を置いて、次の日自転車を取りに行き、そこから東京まで再スタートとなった。そして一晩ぶりに、自転車に再会した時の私の喜びたるや、筆舌に尽くし難い。やっぱり可愛いな。苦楽を共にしてしまったので、なんだか同じ思いを共有しているかのような気持ちになった。

 帰り道は凄くスムーズだった。多分、道に迷わなかったぶん、半分の時間で移動出来た。色々思い出はあるが、帰り道の中で1番印象的だったのは、町田街道沿いにあった「かすうどん」の店。チェーン店だが最高に美味しく感じられた。極限状態で食べる食物の美味しさ、ありがたさを知った。

 そんなこんなで、府中にあるNECの建物が見えて来ると安堵と「帰ってきた!」という気持ちでいっぱいになった。多分、どこか緊張していたのだと初めてその時に感じられた。

 高校生の自転車の先輩からは、色々なおすすめを教えて貰い、「檜原村」へも行ったので、またその話は機会があれば書きたいと思う。

 自分から生まれた発想とは又違い、教えて貰ったディテールをなぞる事により見えてくる事もあるなと、確認出来た小旅行だった。H君、ありがとう!

 公民館や、青年室では、こんな異年齢での交流や関わりもあります。^_^

(全てコロナ前の、お話です)