好きなこと

ブログを書こうと思った時、自分の中でなにかテーマがあるといいなと思った。好きなことを書けたらいいな。と思い、自分の好きなことってどれくらいあるんだろう、と考えてみることにした。

沢山あるのは分かっていたけど、とりとめもなく考えていたら、歩きながら、温泉のように湧き出てきた。


文通、布、色彩や音、人の服装を見ること、自分と違う話し方を見つけること、いつか誰かが書いた言葉を見つけること、作り込まれた映画、いつか使いたい家具の妄想をすること、家具のない部屋を妄想すること、車の中の音楽、天気がいい日の電車、誰かのビデオテープ、花椿のアートディレクション、極悪な経歴を持つ芸術家や詩人、北欧の童話、おばあちゃんとの思い出、広いところ、秘密基地、街灯、ダンス、ジプシーギター。

夢の話、図書館、甘いもの、うるさくない場所、無敵そうじゃない人、切ないということ、誕生日、落書き、散歩、夜の散歩、誰かの部屋、難しい話を面白く話す人、どうでもいいこと、作業中にサクマドロップを食べること、深夜、なにも気にせず窓を開けて読書すること。

笑うこと、泣くこと、スクラップブック、カリフォルニアのネオンライト、ピアノ、トランペット、砂と水のある風景、香港、スウェーデン、メキシコの街並みや人の顔。都市の中に立つ樹木を見ること、古い形のテレビ、時計、コピー機、使い終わって剥がされた看板、人の影の形をみること。

旅先で無茶をすること、スティックのり、太陽に焼かれた匂い、鉛筆、人の手を見ること。最近は爪を塗ること。


これだけあったら、交換日記やプロフィール欄の「すきなこと」に収まらない。たぶん、「好きなことを集める」ことが、私の好きなことなのだ。

あと、私はあまり、すきなことに、好きな芸能人とか、作家とかの名前を挙げない。

太宰治が好きだと断言できるほどファンではないけど、太宰治はすきなんだよな、と言いたい時はある。

太宰治の「津軽」は、古本屋で買ったら、中に前の人が紙をはさんだりハンコを押していた。わたしは、そんな風に、読む人が一冊に思い入れを込めるということ自体が好きなのだ。

一昔前の純文学の、退廃的な学生の表情や匂い、喋り方、恋をして気が狂うような世界に、高校時代、すこしだけハマってみた。三島を読んだり、川端康成を読んだり。でも、いつだって私より熱心な読書家が周りにはいて、私は、難しい漢字や言い回しに躓き、沢山借りては半分で読み終わった。ジョンアーヴィングをお母さんに勧められた。それもまた、好きな文体だが、読みきれずにいる。西加奈子の「i」は好き。あとは、川上未映子の「ヘヴン」も好き。村上春樹の「納屋を焼く」も。ほかにも読んだ本は沢山あるはずなのに、思い出せない。

(エイモス・チュツオーラの「やし酒のみ」は、ちゃんと読めて、かつ、この本についてお話しできた思い出がある。それはすごく嬉しかった。)

そういえば、ひっそりと本の話をする友人が1人できて、その子が書く短い小説を、どんな本より楽しみにしていた。

こんな感じだから、本が好きだけど、好きな本の話は出来ない。

でもこれはきっぱり言える。図書館が大好きだ。

私がわいがやに出会ったのも、わいがやの上には図書館があったからだ。本があるから、私は、歴史を知れて、誰かの人生の中の言葉と繋がり、物知りになれる。薄れた記憶を鮮明に思い出すこともできる。図書館には、好き/嫌いが無い。いつだって来れるし、いい匂いがする。木漏れ日を室内なのに感じられる。私は「好きな風景」に出会いたいという気持ちが強い。図書館はそういう場所だ。そこに居たいとか、出会ってみたいとか、夢見る気持ちでいられるのだ。

ちなみに好きになれないことは、画面の大きなテレビ、食べ残し、大切なものをなくすことです。