言葉だけが全てじゃない

 あれは何歳頃の事だろうか。妹と一緒に家から出て外へ遊びに行こうとした。マンションの階段を降りて道路に出ると、遥か向こうの方から子犬が全速力で、こちらに走ってきた。可愛らしい、豆のような子犬は、鉄砲玉のように私たちの方に一目散に走って来た。私たちは咄嗟に走って逃げた。マンションの2階が自宅だったので、そこへ2人で駆け込んだ!筈だったが、子犬まで一緒に室内に入ってきたのだ。「遊んで!」…とばかりに私たちの家の中を激走した。父が頑丈な手袋をはめて、戸外へと促そうとしたが、それは噛みちぎられて、穴があき、更に室内はヒートアップ!まさにカオス状態となった。後日近隣の犬であるという事がわかり無事幼い犬も自宅へと帰れたわけだが、その日以来、犬という動物への恐怖が私の中で芽生えてしまった。

 しかしその恐怖感とは裏腹に犬に縁がある人生になる。前職場で一緒だった同期の実家は代々チャウチャウを飼う家だった。遊びに行くと必ずその子達に囲まれた。ドキドキすればする程、そのぬいぐるみのような可愛い物体は私の側に来てはうずくまった。私はずっと身体を硬くしていた。足元にも左右にも、チャウチャウが居た。包囲されていた。なんともシュールな絵のような光景だった。

 今現在闘病中の妹は、犬を飼っている。可愛い白と茶色の身体をした「彼」を彼女は本当に可愛がっており、元気だった時は懸命に散歩に出かけ、いつもどれだけ「彼」が可愛い存在であるのかを話してくれた。しかし、今はあんまり関心が無くなってしまったかのように見えた。それならば、と私は一念発起し、犬との関わり方など全くもって知らないけれど、よし!遊んでみよう!と、手始めにとにかく話しかけてみた。大好きなきゅうりを「食べる?」と言ってみた。きゅうりが大好きな「彼」は、台所に向かって走り、冷蔵庫の前でチョコンと座って私を待った。細かく刻んだきゅうりをたいそう喜び、私が手に乗せて「おすわり、食べていいよ」と言うと、ちゃんと一旦おすわりをしてから、ペロンと勢い良く私の手を舐めきゅうりも一緒にからめ取った。私はまだ怖くてそれを落としてしまう事もあるが、「彼」は満足そうだった。そんな時も妹は本棚に目をやり、こちらには関心が無いように見えた。暫くすると「彼」は、カーテンの隙間から庭を眺め、ずっとそこに佇んでいた。「外に出たいんだね」と、言いながら私は恐る恐る身体を撫でた。

 何とも言えない気持ちのまま帰宅すると、妹からLINEが来ていた。「お姉ちゃんありがとう。○○(犬の名前)楽しかったね」と書いてあった。「楽しかったかなあ。○○の友だちになりたいんだ」と返信すると「ありがとう。嬉しいね」とかえってきた。

 妹の気持ちが伝わってきた。その時に感じた事は、目に見えている事ばかりが全てではないのだという事だ。表現の方法として、妹の感情の出し方は変化してしまったのかもしれないが、だからといって気持ちの奥底にある何かを感じ取る事が出来たり、違う方法で意思疎通が出来たら、それで良いのではないか。と思うのと同時に、自分があまりにも表面的な判断をしていた事に対する後悔と、これからはもっと奥底まで見れたり感じたり出来る人になりたいと思った。

 もしかしたら、あの幼い頃に出会った犬も、「遊んで」以外に何か言いたい事があったのかもしれないな、と思いながらこれからの事を思った。

  

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